広報誌
Vol.21 2014年9月発行
SPECIAL INTERVIEW
FC東京 権田修一×森重真人 「首都・東京の誇りを持って」
ー 今回、FC東京の監督に就任した経緯を教えていただけますか。
ー 権田選手はFC東京の下部組織からの生え抜きですよね。
- 権田
- 「小学校のときは『さぎぬまSC』というクラブでサッカーをしていたのですが、並行してFC東京のスクールに通っていました。そして、中学生になったときにジュニアユースのセレクションを受けて合格しました」
ー 他のJリーグクラブのセレクションにも合格していたそうですが、FC東京を選んだ理由は何だったのでしょう。
- 権田
- 「『地元のクラブ』だったからです。家の近くでサッカースクールをやっていて、街を歩いていたらポスターやフラッグがある。僕が小学生のときはヴェルディもまだ川崎だったので、『地元のクラブ』といえるのはFC東京しかなかったので」
ー 森重選手は2010年に大分トリニータから移籍してきました。それまでFC東京にどんなイメージを抱いていたのでしょうか。
- 森重
- 「パスをしっかりつないで、良いサッカーをするチームだなという印象がありました。大分時代はFC東京に苦手意識を持っていました。味の素スタジアムで勝った記憶がほとんどないんです。『強いチーム』だなと思っていました」
ー 広島出身の森重選手は、子供の頃から全国大会などで東京に来ることもあったと思いますが。
- 森重
- 「そうですね。全日本少年サッカー大会のよみうりランド、高校サッカー選手権の国立競技場などは憧れの場所でした。だから、東京=(イコール)全国大会というイメージがありましたね」
ー 味の素スタジアムはお二人にとってどんな場所ですか?
- 権田
- 「家の近くに駒沢陸上競技場があったので、FC東京が駒沢で試合をするときはよく観に行っていました。僕が中学校のときに味スタができて、こけら落としの試合(FC東京vs東京ヴェルディ)も観に行ったんですよ。いつかプレーしたいなと思っていたので、初めてピッチに立てたときはうれしかったですね」
- 森重
- 「移籍1年目はなかなか勝てなくて……。悔しさを味わうことが多かったですね」
ー 森重選手が移籍してきた2010シーズン、FC東京は残念ながらJ2に降格してしまいました。
- 森重
- 「1年目で結果を出せなかったことは悔しかったし、自分に責任があるなと思いました。でも、J2で戦った1年間は自分を見つめ直すこともできましたし、決してマイナスではなかったと思っています。そこから一歩一歩前に進んできていると思います」
- 権田
- 「J2降格は悔しかったですね。自分がずっと応援していて、J1に上がって戦う姿を見てきたクラブを落としてしまった。FC東京をこれまで支えてくれた先輩たちに申し訳ないという気持ちもありました。でも、落ちてしまったことをずっと悔やんでいても仕方ない。前を向いて這い上がろうと思いました」
ー J1に復帰してから3シーズン目になりました。クラブとして成長してきているという手応えはありますか。
- 権田
- 「はい。Jリーグに上がった頃のFC東京は、うまい選手というよりは運動量があって頑張る選手がたくさんいて、泥臭く勝つというスタイルでした。でも、城福浩監督のときに、パスをつなぐサッカーに方針転換して、そこからは監督が代わってもスタイルはブレていません。チームとして正しい方向に進んでいるのは間違いないですし、質の高い選手も増えてきています」
- 森重
- 「クラブがちゃんと方向性をハッキリと示してくれるので。選手とフロントが同じ方向を見ていることは、強いチームになるためには大事なこと。また、育成組織もしっかりしています」
"サッカーの祭典"に出場して感じたこと
ー お二人は6月にブラジルで行われたワールドカップ(W杯)に日本代表として出場しました。それぞれの感想を聞かせていただけますか。
- 権田
- 「世界最高の大会だなと思いました。大会の規模から選手の質から何から何まで違いました。サッカー選手なら誰もが目指す舞台だなと。僕自身は試合に出られませんでしたが、それは監督が決めること。それ以上にチームとして結果が出なかったことが悔しいですね」
- 森重
- 「一番の感情としては、もう1回あの大会に出たいなと。ただ、W杯は4年に1回しかありません。そこで勝つことの難しさも感じました。僕自身は去年から代表に選ばれて、W杯を意識しながらやったというよりは、毎日のリーグ戦を頑張っていたらW杯が目の前に来たという感覚でした。でも1回出てみて、W杯が自分にとって一つの基準になりました」
ー 権田選手にとって4年後のW杯は目標になるものでしょうか。
- 権田
- 「今から4年後のことを考えようとは思っていません。日本代表やW杯はサッカーをやっていれば当然目指すところですが、そこが全てではない。今はFC東京で、今週末の試合のために何ができるかしか考えていません。W杯のために特別にやるのであれば、毎日を特別にやるべきだと思います」
ー 日本代表で、どんなことを学びましたか。
- 森重
- 「技術的なところはもちろん、サッカー以外のベースが引き上げられたかなと思います。海外リーグでプレーしている選手たちは、日本で試合をするときは移動して試合をして、その日の飛行機で戻って、また試合をしている。それを文句一つ言わず、当たり前のようにやっている。そういう姿を見ていると、自分もまだまだやらなければいけないなと思わされます」
- 権田
- 「日本代表に行ったからといって、技術的にすぐにレベルアップするということはありません。先ほども言ったように、日本代表というのはFC東京で良いプレーをした先にあるもの。そういう意味では、ここ(FC東京)での日々をどれだけしっかりやるかというのが大事になると思っています」
ー FC東京ではどんな目標を持っていますか。
- 権田
- 「もちろん優勝したいという気持ちはあります。その一方で1年だけ優勝してもダメだという気持ちもあるんです。僕たちは首都・東京のクラブです。ヨーロッパのリーグを見ていても、スペインのレアル・マドリーなど大都市のクラブが常に優勝争いをしている。これから何年間も優勝できるチームになることが大事だと思っています」
- 森重
- 「FC東京は優勝できるメンバーは揃っていると毎年言われます。だから、『どうして優勝できないか』を考えながら取り組んでいます。自分がFC東京にいる間に優勝したいという想いは強く持っていますし、首都・東京である以上は強くないといけないという自覚を持っています」
ー FC東京が「常勝軍団」になるために必要なことは?
- 森重
- 「パスサッカーを目指してやってきて、そこはできるようになってきました。でも、目の前の相手に負けないという強い気持ちや、泥臭くても勝つというところがちょっと弱いところがある。キャプテンとして、先頭に立ってやっていきたいですね」
- 権田
- 「イタリアからマッシモフィッカデンティ監督が来てくれて、チームとしての方向性を示してくれています。僕たちもそれに乗っかるだけではなくて、自分が何をできるのかを、しっかり考えてやることができれば結果は出てくると思います」
ー 最後に東京の"サッカーファミリー"に、お二人からメッセージをいただけますか。
- 権田
- 「東京のサッカーは強くなければいけないと思っています。どんなカテゴリーでも東京のチームが優勝するぐらいになってほしい。もちろん、FC東京は首都・東京にあるプロチームとして、もっと頑張っていきます。みんなの力で東京のサッカーを盛り上げていきましょう」
- 森重
- 「東京でサッカーをやっている子供たちには、たくさんボールを蹴って、たくさんサッカーを見て、もっともっとうまくなってほしいと思います。そして、大人になったときにJ リーグや日本代表のレベルを格段に引き上げてもらいたい。FC東京の試合もぜひ観に来てもらえたらと思います」
PROFILE
権田 修一 (ごんだ・しゅういち)
1989年3月3日、東京都世田谷区出身。FC東京のサッカースクール(駒沢スクール)に通う。FC東京Uー15、Uー18を経て、2007年にトップ昇格を果たす。各年代の日本代表に選出される。ロンドンオリンピック、ブラジルワールドカップに出場。優れた身体能力、鋭い反射神経、正確なフィードが持ち味の守護神。187cm、85kg
森重 真人 (もりしげ・まさと)
1987年5月21日、広島県出身。広島皆実高校で1年時に全国高校サッカー選手権に出場。2006年に大分トリニータに加入。2010年、FC東京に移籍。以降、守備の要として活躍する。北京オリンピック、ブラジルワールドカップに出場。1対1の強さ、打点の高いヘディング、ビルドアップ能力を併せ持つ日本屈指のDF。183cm、76kg