第18回東京都クラブユースサッカー(U-14)選手権大会
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2011年2月20日 東京都・西が丘サッカー場
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フォルツァ’02石川のオーバーヘッドシュートが決まる |
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フォルツァ’02
見事、ダブル優勝! |
U―14の決勝戦に先駆けて行われた「東京都フレッシュカップ」は、東京都クラブユースサッカー(U―14)選手権大会にて下位で敗退したチームや、あまり試合に出られない選手(Bチーム)が自由に参加できる大会。決勝はフォルツァ’02のBチームと世田谷FCの対戦となった。
試合は終止ペースを握ったフォルツァ’02が長短のパスを織り交ぜ攻めるも、世田谷FCの粘り強い守りの前にゴールを割れない。しかし残り時間5分、ゴール前にこぼれてきたボールをフォルツァ’02途中出場の市波大輝が決めて勝利した。
決勝戦はフォルツァ’02と三菱養和巣鴨サッカークラブというカード。開始早々、三菱養和巣鴨がチャンスを迎える。関野太聖のクロスを高橋瞭斗がシュート。これは惜しくもゴールを外すも、いきなり決定的場面を迎える。三菱養和巣鴨はDFラインでボールをつなぎ、大きな展開からのサイド攻撃を見せるが、「ウチは守備のチーム」とフォルツァ’02大野監督が語るように、今大会無失点の堅守が立ちはだかる。
そんな中試合が動いたのは26分。三菱養和巣鴨の高橋瞭斗のシュートがブロックした相手DFに当たり、ゴール前にこぼれたところをいち早く反応した伊東駿が押し込み先制。このまま前半は1―0と三菱養和巣鴨リードで折り返す。
後半に入るとフォルツァ’02は高い位置でボールを奪う場面が多くなり、チャンスを作り出す。そして51分、フリーキックのこぼれ球を尾高弘樹がふわりとあげると、これを石川喬一が見事なオーバーヘッドシュートを決めて同点。フォルツァ’02はこの勢いのまま66分にコーナーキックの混戦からまたしても石川喬一が決めて逆転に成功する。三菱養和巣鴨はDF木脇次郎を前線に上げてパワープレーを仕掛けるがフォルツァ’02は最後まで運動量が落ちずボールに食らいつき、フレッシュカップを優勝したBチームと共に、フォルツァ’02がダブル優勝を果たした。
フォルツァ’02大野監督は「どっちが勝ってもおかしくないような試合だったので、運をつかんだのが勝因かなと思います」と勝利を喜んだ。 |
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第1回東京都・ソウル特別市シニアサッカー定期戦
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2010年12月5日 東京都・北区立赤羽スポーツの森サッカー場
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大韓大学サッカー連盟のピョン・ソクハ会長(左)と東京都シニアサッカー連盟の曹明委員長(右) |
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日本と韓国の新たな架け橋
シニア年代から生まれる友情 |
日本の〝永遠のライバル〟と呼ばれる韓国。アジアサッカーの仲間として、また最高の対戦相手として、深いつながりを持っている日本と韓国だが、その中でも両国の首都であり、姉妹友好都市でもある東京とソウルの結びつきは強い。
サッカーでは、1996年からは両都市のサッカー協会の友好親善を目的とする「東京―ソウル親善サッカー定期戦」が毎年交互に開催されている。
そして、今年度からは東京とソウルの結びつきをさらに強めるイベントがスタートすることになった。東京の〝最年長カテゴリー〟であるシニアでも定期戦が行われることになったのである。東京都シニアサッカー連盟の曺明委員長が定期戦誕生の経緯を説明する。
「U―18・U―15で交流戦をやっていましたが、シニアでもできないかと思っていました。昨年、東京都シニアリーグで優勝したトヨペットがソウルに行って試合をしたときに話をしたところ、向こうも『是非やりたい』と。私自身が在日コリアンですから、韓国とのパイプが強いうちに始めようと思ったのです」。
「第1回」となった今回はソウルのチームを招く形で、北区立赤羽スポーツの森サッカー場で開催された。 参加チームはオーバー40の部が高麗サッカークラブ40、セレクシオーネ世田谷、ソウル市代表O―40、オーバー50の部が高麗サッカークラブ50、NTTシニア、ソウル市代表O―50の6チーム。
ソウル市代表は、ソウル市の強豪チーム、ヒュンメルコリア・月渓蹴球会中心の選抜チームである。
ソウル市代表チームの一員としてプレーもした、同チーム代表のピョン・ソクハ大韓大学サッカー連盟会長は東京都との交流戦についてこのように語った。
「このような交流試合は大歓迎ですし、もっとあっても良いと思っています。韓国のシニアサッカーも日本と同じように盛り上がりを見せています。シニアなのでライバル意識を燃やすというよりは、サッカーを通じて新しい友達のような関係が築いていけたらうれしいです」。
ライバル意識よりも友情――ピョン会長はこのように語ったものの、試合が始まってみれば友好ムードから真剣勝負モードに早変わり。ゴール前では体をぶつけ合い、微妙な判定を巡ってヒートアップする場面も。それでも、試合自体がそこまで荒れなかったのは、それぞれの選手の根底に相手を尊敬する気持ちがあるからだろう。
「シニアのカテゴリーでも勝ちたい、負けたくない気持ちをみんな持っています。ソウルのチームのほうが熱くなっているところはありましたが(笑)」(曺委員長)。
東京とソウルのトップチーム同士の交流戦はO―40、O―50の部、全部で5試合が行われた。
O―40、50のどちらでも出場した高麗SCは、在日コリアンの選手によって構成され、日本一になったこともあるシニアサッカー界屈指の強豪チーム。ソウル市代表との〝同胞対決〟は、ボールの組み立てから、落ち着いたプレーまでシニアサッカーの「お手本」と言っても良いような試合になった。
O―40で出場したセレクシオーネ世田谷の試合中には、スタンドに駆けつけた仲間たちが「ニッポン!」コールを選手たちに送った。世田谷はソウル市代表にボール支配率では上回られながらも、素早いカウンターとサイドアタックからチャンスを作り出し、1―1と勝利まであと少しのところまで追い詰めた。
〝永遠のライバル〟と表現されるように、日本と韓国はA代表からシニアまでカテゴリーを問わずにライバル関係にある。だが、ピョン会長は言う。「日本と韓国はライバルですが、世界から見れば日本と韓国は体格的にも、プレースタイル的にも、よく似ています。だからこそ、このような機会を増やして、良いところを学びながら、もっともっと強くなっていくことが大事だと思います」。
その言葉通り、これからアジアが強くなっていくためには、〝最も身近な強豪国〟との相乗効果は必要不可欠。今回の交流戦は単に試合をしたこと以上の意味があると言えるだろう。
「シニアサッカーの最大の魅力は40歳になっても、50歳になっても、ボールを通じて新しい仲間ができることなんです。今回にしてもそう。この年齢になって外国の人と触れ合う機会はそうそうないでしょう」。
曺委員長はこの定期戦がサッカーを通じた国際交流であることを強調する。それがシニアのカテゴリーで行われていることは興味深い。年齢を問わず日本と韓国が切磋琢磨し、レベルアップしていくことを期待したい。 |
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東京からは2010年の東京都シニアチャンピオンズリーグ1位のセレクシオーネ世田谷が出場 |
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ソウル市代表として出場したのは、ソウル市の強豪ヒュンメルコリア・月渓蹴球会の選抜メンバー |