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巻頭特別企画

クラブ創立40周年 / 東京ヴェルディ
ラモス瑠偉 常務取締役インタビュー
日本屈指の名門クラブである東京ヴェルディが今年創立40周年を迎えた。
読売クラブ、ヴェルディで22年間プレーした、元日本代表のラモス瑠偉氏(現常務取締役)が、クラブのこれまでとこれからについて語った。
 


栄光の黄金時代を築いたサッカー界のパイオニア

――ラモスさんは1977年に日本に来日して、読売クラブに入団しました。当時からチームにはブラジル的なスタイルはあったのでしょうか?
ラモス ありましたね。ジョージ与那城さんを筆頭にすごいうまい選手が揃っていて、蹴って走るサッカーではなくて、ブラジル流のボールをつなぐサッカーをしていた。僕はサッカーをやりながら、自分たちも楽しいし、お客さんも楽しませるサッカーがやりたかったんですよね。「読売クラブはファンを増やすためにも違うことをしなきゃいけない」と。
――アマチュア時代からファンを楽しませようとするのは読売だけだったのでは?
ラモス 日本のサッカーを変えるのは読売クラブだって思っていたから。ウチは個性を生かせるチームだったんですよ。ヤンマーやフジタにもいい選手がいたけど、外で会ったときに「読売みたいなサッカーをしたい」っていわれたことがあったんです。他のクラブの選手にも魅力的に映っていたんでしょうね。
――当時から練習場はよみうりランドだったんですか?
ラモス 昔は普通に電車で通っていました。よみうりランド駅からはバスで行くこともあったし、山(の中を通るコース)も登りましたよ。バスを待つよりは歩いたほうが早いなとか(笑)。だけど、その後、90年に僕が日本人になって、日本のサッカーもプロになることになって、テレビに出たり取材も多くなってきましたね。だんだん変わり始めましたね。
――1993年のJリーグ開幕でサッカーブームが訪れます。その中でも当時最強だったヴェルディの人気は別格でした。
ラモス カズ(三浦知良)、武田(修宏)、北澤(豪)、哲ニ(柱谷)とスターがたくさんいたからね。しかも、ウチのサブの選手が、他のチームのレギュラーの選手より人気があったからね。そんなことはありえないですよ。サポーターも増えたし、ミーハーなファンも増えた。そういう人たちにサッカーを好きになってもらうためにはどうするかというと、いいサッカーをすること、それからファンサービス。
――ヴェルディの黄金時代はいつだと思いますか?
ラモス ヴェルディとしてはJリーグ開幕後最初の3年間。2回優勝して1回は準優勝。読売クラブとしては、84年の日本リーグ初優勝のときですね。あれだけコンディションの良くないグラウンドで、あれだけ素晴らしいサッカーができたのはすごいこと。
――しかし、近年はJリーグで低迷が続いているのが現実です。昨年は2度目のJ2降格を経験しました。
ラモス クラブの人間としていえるのは、選手を育てていくのが大事だということ。もちろん選手たちは優勝したい。だけど、監督がそこにこだわりすぎると選手の個性が伸びないこともある。今は若手にとってはチャンスだから頑張ってほしい。
――ヴェルディといえば伝統的に下部組織が強いことで有名です。 
ラモス 僕たちの頃は、練習が終わった後もグラウンドに残ってドリブルの練習をしたり、ミニゲームをしたり、ユースの子とよく遊んだりしていたんです。その中に都並(敏史)や戸塚(哲也)、志郎(菊原)がいたんです。一緒にボールを蹴れば子供たちはあこがれるじゃない? 何よりもみんなサッカーが大好きでしたから。当時はみんな三度の飯よりサッカーでした。これはヴェルディの文化ですよ、伝統です。そういったところは受け継いでいってほしい。
――ここから這い上がっていくために大事なことは何でしょうか。
ラモス クラブに関わる全員が「ヴェルディ」を好きになって、このクラブのためにやってやろうぜという気持ちにならなければいけないんじゃないかな。ヴェルディがよくなるために、僕自身もできることは何でもやっていくつもりです。
――ラモスさんから東京の子供たちへメッセージをお願いします。
ラモス 自分の夢に向かって頑張ること。叶わなくても違う道を神様が与えてくれる。とにかく真面目に一生懸命努力する。そして、サッカーが好きな子はヴェルディにぜひ来てください。新しいヴェルディを作りましょう!


 





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