巻頭特別企画

JFA技術委員インタビュー
吉田 靖
東京が伸びれば、日本のレベルはもっとアップする!
2007年、U-20ワールドカップで若き日本代表を率いてベスト8に導いた吉田靖氏。
現在、JFA技術委員としてナショナルトレセンなどの若手育成に携わる吉田氏に、これまでのサッカー人生、指導者として大切なこと、ユース年代の育成に必要なことなどを伺った。
 

純粋な気持ちでずっとサッカーをやっていた

──吉田さんのご出身はどちらですか?
吉田 生まれたのは日本橋なんです。5歳のときに引っ越して、それからはずっと練馬です。サッカーを始めたのは小学校3年生。当時としてはスタートは早かったと思います。今の全日本少年サッカー大会の前身である、全日本スポーツ少年団大会に4年のときから出ていました。上石神井スポーツ少年団といって、当時はすごく強かったですよ。東京都で3、4連覇していて、全国大会では4位、3位、2位。コーチの人が帝京高校出身で、非常に情熱のある方で毎日練習していました。毎日練習しているようなチームは当時はほとんどなかったですからね。
──前回登場していただいた荒川恵理子選手も練馬出身で、彼女は商店街をドリブルしていたそうです。吉田さんはどこでボールを蹴っていたんですか?
吉田 僕は練習が終わると、毎日家の前の塀に向かってボールを蹴っていました。今はうるさくいわれることもあるんでしょうけど、当時はそういうのはなくて、家に帰って暗くなるまで蹴っていましたね。
──吉田さんの少年時代はどんな目標を立ててサッカーをしていましたか?
吉田 釜本(邦茂)さんとか杉山(隆一)さんとかがメキシコオリンピックで銅メダルを取った後で、サッカーブームだったんです。だから日本リーグの試合はよく見に行きましたよ。父に連れていってもらったり、友達と一緒にいったり。よく行っていたのは駒沢陸上競技場や西が丘サッカー場。それから国立競技場。本当にサッカー小僧でしたね。それはずーっとです。今も変わりません(笑)。
──中学校、高校時代で思い出深いことはありますか?
吉田 中学校のときは全中(全国中学生大会)、高校では高校選手権を目標に一生懸命頑張ったんですけど、結局出られなかったんです。それがよかったのかもしれません。自分の情熱はどんどんどんどん膨らんでいって、次のところ、次のところへ行きました。ユース代表や日本代表に入りたいというのは個人としてありましたし、チームとしては全国大会に出たいという気持ちで必死にやっていました。だから、すごい充実していましたよ。純粋な気持ちでずっとサッカーをやっていましたね。
──吉田さんは現在、若い世代と接することが多いと思いますが、当時との違いを感じるところはありますか?
吉田 今はJリーグという目標があって、外国のサッカーもすぐに見れて、サッカーがあふれていますよね。当時はプロもないし、外国のサッカーも見れない。だからこそ、サッカーに飢えていましたよね。昔のほうが純粋さがあったかもしれません。今の子がないといっているわけではないので、そこは誤解しないでほしいのですが。
──高校卒業後は早稲田大学に進学しましたが。
吉田 僕が1年のときの4年生が岡田(武史)さん、3年生が原(博美)さん、同級生に城福(浩)、一個下に関塚(隆)がいました。岡田さんや原さんといった素晴らしい人たちの背中を見ていろいろなことを学びましたね。僕自身は大学を卒業したら教員免許を取って教師になろうと思っていたんですけど、2、3年のときに大学選抜や日本代表候補に選んでいただいて、サッカーに対する欲が出てきたんです。2年生のときには実業団に行こうと思っていて、三菱重工に入りました。
──1992年に現役を引退しました。
吉田 僕が引退したのは日本リーグが終わって、ちょうどプロ(Jリーグ)になるとき。僕はプロで絶対やりたいと思っていたんだけど、監督をやる森(孝慈)さんに「戦力としては考えていない。コーチをやれ」といわれて。結構粘ったんだけど結局ダメだったんです。




個性的な選手の育成は
基本の質の向上が大事

──どのように指導者の勉強をしたんですか?
吉田 レッズの先輩方がすごく理解があって、レッズのコーチをやりながら、95年から日本サッカー協会でナショナルトレセンの仕事もやることになりました。協会の仕事をやらせてもらえるようになって、若い子を教えたり、指導者の研修会を受けたりしてコーチングはこういうものだというのを教わりましたね。
──プロと育成年代を教えることの違いはどこに感じますか?
吉田 プロは結果ですから。できるか、できないかとハッキリしています。できなければメンバーから外したりクビにしたりする。だけど、育成は今できなくてもいい。何年後かにできればいい。我慢強く、粘り強く接していかなければいけない。そのためにいろいろなことを教えたり、叱ったり、褒めたりする。もちろん、そのときの大会で勝たなければいけないというのはありますが、基本的には先を見なければいけない。
──各年代のコーチを経験した後、2007年のU-20ワールドカップに出場したチームの監督をされました。
吉田 レッズではサテライトやトップも一時的に監督をやらせてもらっていたんですが、代表チームでは初めてでした。コーチとして蓄積してきたものを表現するチャンスです。コーチは監督と選手の間をつなぐのが重要になりますが、監督は自分の意見を出していきます。そういう意味では、自分のやりたいことをやらせてもらったなと思います。
──若い選手がおとなしいといわれている中で、吉田さんのチームは〝調子乗り世代〟と呼ばれるほどの元気の良さが印象的でした。
吉田 特別に何かをやったわけではありません。大事なのは選手のよさを引き出してあげること。選手は性格も違えば特徴も違うわけですし、それを一律的に自分の考えでこうしろというのではなくて、うまく選手の持ち味をゲームで生かしてあげる。普段の生活のところでもそれぞれ個性がある。チームですから一定の基準はある、それさえ守ってもらえれば、騒いでるやつは騒いでもいいし、おとなしいやつはおとなしくてもいい。柏木(陽介)や安田(理大)のようにうるさくていつも喋ってるやつもいれば、内田(篤人)のようにおとなしいやつもいるわけですから。
――世界大会に出場することの意味は?
吉田 僕自身が世界大会に行きたいというよりも、彼らに行かせなきゃいけないという使命感のほうが強かったですね。世界大会に出場することで飛躍的にレベルアップする選手を、コーチとして目の当たりにしてきましたから。例えば、今の内田にしても最初の頃は全然自信がなさそうにプレーしていたわけです。それがU-20ワールドカップ、北京オリンピックを経験して今は自信に満ち溢れていますよね。選手というのはちょっとしたきっかけでよくなる。ただ、逆にダメになっちゃうときもある。非常に難しい。あのときのU-20日本代表選手の中でもよくなっている選手もいれば、なかなか芽が出ない選手もいます。
――選手が伸びるためのきっかけを与えることが指導者にとっては大切なんですね。
吉田 そうですね。世界大会に出ることもそうですし、彼らと対話していいところを伸ばして、悪いところは直すようにすることも大事です。いろいろな方法で刺激を与えてあげる。きっかけは自分でつかむものですが、周りが与えてあげることも絶対に必要です。とはいえ、あまり与え過ぎてもダメ。選手のほうもきっかけを作ってくれるのをずっと待っているだけではいけません。自分で強い気持ちを持って高めることができないと、伸び幅は小さくなってしまいます。
──現在、吉田さんが関わっているナショナルトレセンとは?
吉田 選手というのは所属チームで育ちます。ただ、所属チームではどうしても中間層をターゲットに教えますよね。そうするとトップの選手にとっては欲求不満のところが出てくる。そこに刺激を与えるためには、トップの選手を集めて刺激しあうことによって上のほうを伸ばす。いちばん上は代表ですが、代表ほど少人数ではなく、ある程度の人数を集めて行うのがナショナルトレセンです。U-12は9地域で600人ぐらいを集めて、U-14では、東日本、中日本、西日本で150人前後を集めます。次のU-16は東西で80人ぐらい。そのような形でどんどん絞っていきます。
──全国的に見て東京のユース年代の印象はどうですか?
吉田 圧倒的に人数が多いですし、タレントもたくさんいると思います。東京は情報が最も得られやすい場所じゃないですか。そういう意味では間違いなく日本の象徴になっていますよね。関東の子は都会っ子で、サッカー選手としても洗練されています、東京は特に。ただ、早めに高いところにいける分、そこから先のところでやや伸び悩む傾向がある。逆に地方の子は後半からの伸びが大きくなる。東京のように洗練された子がさらによくなれば、日本のサッカーはもっとよくなりますよ。
──どういったことが大事になるのでしょうか。
吉田 昔と今では時代が変わっていますが、原点は変わらない。ボールをたくさん蹴ることです。サッカーが本当に好きだったらやりますから。だけど、サッカーだけじゃないいろいろな楽しいものがあるので、今の時代はサッカーに関心を向かせるために指導者が意識的に働きかけなければいけない。
──個の力が落ちているともいわれています。
吉田 いえ、平均レベルは間違いなく上がっています。今は平均レベルが上がっているから上が目立たなくなっている。その中で個性的な選手を出していくという次の段階に来ている。だけど、個性というのは作れないから難しいんですが。ただ、例えばメッシがどうしてあんなにすごいかというと、基本の質が高いからなんです。基本の質を上げていくことが大事になると思います。基本というのは個性と相反するものではなく、基本の上に上積みすることで個性はもっと輝きます。
──最後に東京の指導者、選手にメッセージをお願いします。
吉田 サッカーは本当に素晴らしいものなので、子供たちにその素晴らしさを伝えてほしいです。自分自身も素晴らしいものに関われる喜びを見つけていってもらいたいです。日本のサッカーを支えているのは底辺の指導者の方たち。そういう人たちがいないと日本のサッカーは成り立たちません。そして、子供たちにはぜひ夢を持って欲しい。自分なりの夢を持って、その夢に向かって自分を高める努力をする。夢が達成できなくたっていい。僕のように夢が達成されなくても、自分自身にとってのエネルギーになるし、それが次のステップにつながっていくはずです。


Profile
吉田靖(よしだ・やすし)
1960年8月9日、東京都中央区生まれ。 練馬区立上石神井北小学校→練馬区立石神井中学校→國學院久我山高校→早稲田大学→三菱重工業。 現役時代のポジションはFW。 引退後、浦和レッズ、各年代の日本代表のコーチを務めた後、U-20日本代表監督。 現在はJFAナショナルコーチングスタッフ。


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