試合レポート


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シニア
2008東京都秋期シニアサッカー選手権大会
2008年9月14日、10月13日、11月1日 東京都・夢の島陸上競技場

 
オーバー40の部


延長戦で2ゴール! 高麗SC意地の勝利

 2008年度日本マスターズ大会東京予選会でベスト12になったチームに出場権が与えられた、第8回東京都秋期シニアサッカー選手権大会「オーバー40の部」。3チームずつの4ブロックによる予選リーグを行い、各ブロック1位チームによるトーナメントで優勝を決定する大会方式で、決勝のカードはTドリームスと高麗SCに決まった。
 Tドリームスの「T」は「帝京」の頭文字。チーム名の由来からもわかるように、高校サッカーの名門・帝京高校のOBを中心に結成されたチームで、シニアカテゴリー活動歴は10年を数える。高校時代のハードな練習で培った運動量と基礎技術がストロングポイントだ。
 一方の高麗SCは4年前の日本マスターズで日本一になったこともある、全国屈指の強豪シニアチームである。メンバーのほとんどが東京朝鮮高校OBで占められている。年齢を重なるにつれてメンバーがオーバー50のチームに移っていくため「日本一になったときから残っているメンバーは1、2人」(李在錫監督)だという。
 シニア版の帝京vs東京朝鮮ともいえる「オーバー40の部」決勝は、高麗SCが持ち前のパスワークからチャンスを作り出せば、Tドリームは2トップへのロングボール主体のカウンターで応戦する。しかし、「何度も戦ったことのある顔なじみの相手」と高麗SCの李監督がいうように、この2チームはリーグ戦や練習試合で何度も戦っている、いわば手の内を知り尽くした者同士。お互いに決定打を繰り出すことはできず、スコアレスのまま前後半50分間が終わった。
 5分ハーフの延長戦に突入してから2分、ようやく先制点を決めたのは高麗SCだった。左からのコーナーキックをゴール前の混戦で押し込んだのは李行烈。するとその直後、1点目をアシストした李在述が左からカットインしてミドルシュート。高麗SCが畳み掛けるように2点を決めた。Tドリームは必死の反撃を見せたが、そのままタイムアップ。シニア界の名門チーム・高麗SCが「オーバー40の部」を制した。

 
 
オーバー50の部


選手兼監督が2得点! 北区シニアが底力見せる

 2008年度全国シニア東京予選会でベスト4になったチーム+成績上位2チームの6チームによって行われた、第8回東京都秋期シニアサッカー選手権大会「オーバー50の部」。大会方式は3チームよる2ブロックによる予選リーグを行い、各ブロックの1位になったチームが決勝を戦うというもの。その結果、エドモンズと北区シニアFC50が決勝進出を決めた。
 エドモンズは、オーバー40の部にエントリーしているTドリーム、アリアンサ、トヨペットから50歳以上の選手を集めた合同チームだ。結成3年目のこのチームのコンセプトは「40までは勝った負けたにこだわっていたけど、50になったら楽しくやろう」(渡辺博監督)。エドモンズというチーム名は「江戸者たち」を英語にしたものだという。
 北区シニアFC50は、その名の通り北区シニアリーグの各チームのオーバー50プレーヤーによって構成されたチーム。北区はシニアの登録チーム数の多さからもわかるように、東京の中でもシニアの活動が最も盛んな地域。そこから選抜された選手のレベルは当然高い。
 前後半25分ハーフで行われたゲームで先制点が生まれたのは前半終了間際の24分、北区シニアFC50だった。DF谷内泉が、ゴール正面から打ったFKがゴールバーに当たってゴールラインを割って、1-0でリードして前半を折り返す。
 後半は北区シニアFC50の選手兼監督のFW菊池敏裕が大活躍。27分に素早い反転シュートで追加点を決めると、その6分後にはロングボールを泥臭く押し込んで3点目。北区シニアFC50が最年長カテゴリーを制した。
 現在、連盟に加盟し活動しているオーバー50のチームは35チームを数える。北区FC50の菊池が「この年になっても真剣勝負をできる場所があるだけでも素晴らしいことだと思う、40歳以上、50歳以上というカテゴリーがあることでみんなが楽しめる」というように、生涯スポーツとしてサッカーをプレーしようという選手は年々増えてきている。
 東京都シニアサッカー連盟では、来年度から「オーバー60の部」を設立する予定だという。

 
 



少年
住友信託東京カップ第20回東京都5年生サッカー中央大会
2008年11月29日〜12月14日 東京・駒沢補助競技場他


東京Vが9度目 "V" 第20回大会を制する

 「住友信託東京カップ 第20回東京都5年生サッカー大会」の中央大会が、府中市サッカー場と駒沢補助競技場で4日間にわたって開催された。
 20回目となる今大会より、大会趣旨には新しい一文が加わった。それが「8人制の試合をすることにより、『判断』のアプローチ場面を多くし、いろいろなポジションを経験しながら個々の 『技術』の質を高める」というものだ。3、4年生では一般的になりつつある8人制サッカーを、東京都サッカー協会主催大会で初めて5年生で取り入れたのだ。
「この年代でサッカー選手に必要な技術を身に着けるためには、8人制は最適な試合方法だと思います」と話すのは少年連盟副委員長の高山清氏。11人が8人になればボールに触る回数が増えると共に、自分にかかる責任も11人よりも重くなる。そういったことが個々の選手の技術、判断力を高めるのだ。
 8人制への移行に伴って、試合時間も従来の20分ハーフから15分の3ピリオドという新方式に変わった。また競技規則には明記されていないが、「1人の選手は2ピリオドしか出場できない」というルールも各チームに通達された。11人制・20分ハーフのときは選手を固定して戦うチームも多かったため、より多くの選手に出場機会が与えられるようにするために設けられたルールだ。
 これはGKの選手も例外ではない。当然FPがGKをやる、GKがFPをやるという状況も出てくる。ここが不安の種だったと高山氏はいう。「ピリオドとピリオドの間が3分しかないので、GKがFPのユニホームに着替える、FPがGKのユニホームに着替えるのに時間がかかるのではないかと。でも、各チームがよく対応してくれて、1、2日目は多少戸惑いもあったが、3、4日目になるとすごくスムーズになっていました」。
 準決勝と決勝が行われた12月14日の大会最終日は厳しい寒さに加えて冷たい雨が降るという悪コンディション。その中で優勝したのが東京ヴェルディジュニアだった。準決勝は8-1の大差で三菱養和調布を下すと、決勝でも暁星に8-1で勝利。20回の大会中9回の優勝は最多回数となる。
 ヴェルディの大量点の要因となったのが積極的にゴールを狙う姿勢だった。ゴールから多少遠目の位置でもシュートを打っていき、直接決まることもあれば、GKが弾いたボールをつめることもある。
「相手がシュートを防ぎに飛び込んできたら、ドリブルでかわしたり、パスをつないだりするプレーもやりやすくなる。下の年代になればなるほどゴールへの積極性が必要になると思います」と大嶋康二監督が語るように、「シュートを打ってくる」という怖さを相手に与えることで、ドリブル突破やパスワークがさらに生きた。
 大嶋監督によれば、今回からこの大会が8人制になるということで、11人制と8人制に平行して練習をしてきたという。
「ただ、サッカーはサッカーだから11人制でも8人制でも5人制(フットサル)でも、人数やピッチの大きさに合わせて判断してプレーすることが大事です」。
 8人制大会として新しいスタートを踏み出した住友信託東京カップ。2回目となる来年度は、今回以上にスムーズな運営と素晴らしいプレーが見られるはずだ。

 
 



高校
第87回全国高校サッカー選手権大会 東京都大会
決 勝
2008年11月15日 東京都・西が丘サッカー場


久我山、攻撃サッカーで
9年ぶりの全国出場

 國學院久我山が、9年ぶり3度目の全国大会出場を決めた。就任5年目で初めての快挙を達成した李済華監督は「ウチのチームは攻撃型。全国の舞台でもエキサイティングなサッカーを見せたい」と声を弾ませた。
 7分、松田浩太のCKを、ゴール前に上がってきたDF高橋拓也が打点の高いヘディングでゴールネットを揺らした。「いいボールが来たので当てるだけだった」(高橋)。U-17日本代表の高橋を筆頭に、FC東京入団内定のドリブラー・田邊草民、ストライカーの川久保理など東京トップクラスのタレントをそろえた國學院久我山が全国の舞台に一歩前進する。
 大学サッカー界では強豪として知られる駒澤大学だが、高等部が都大会で決勝に進出するのは今回が初めて。高さのあるDFラインが相手の攻撃を跳ね返し、前線から泥臭くプレスをかけるというハードワークスタイルは〝本家〟譲りだ。
 先制以降も小気味良いパスワークから國學院久我山が駒澤大学ゴールに果敢に仕掛けていく。だが、11分の川久保理が左からカットインして打ったシュート、20分の石尾潤が川久保とのワンツーから打ったシュートはどちらも左ポストに阻まれてしまう。
 1点を追う駒澤大学が反撃に出たのは後半だった。國學院久我山の運動量が落ちたこともあり、駒澤大学のチャンスシーンが増えていった。72分に、駒澤大学は185センチの長身ストライカー・高橋祐伎を投入し、彼の頭を目掛けてロングボールを放り込んでゴールに迫ったが、無情にも試合終了を告げる笛が鳴った。
 國學院久我山のモットーは〝美しく勝て〟。李監督の練習では単純に走るということはほとんどしない。「本当の体力はゲームの中でつくもの」とトレーニングはボールを使ったものばかりだ。だから「ウチの子はほとんど辞めない。辛くないから」と笑う。
 全国大会では、過去2度の出場で1勝に留まっていた國學院久我山だが、初戦となった2回戦で松山北に7-1で大勝を収めると、3回戦でも那覇西を相手に7ゴールを挙げて2試合で14ゴール。全国大会で初となるベスト8進出を果たすとともに、華麗なパスサッカーで高校サッカーファンを魅了した。

 


見せた名門のプライド
帝京、2年連続出場

 高校サッカーの名門・帝京を2年連続全国大会出場に導いたのは右サイドの快速MF村松知輝だった。
 前半20分、右サイドの浅い位置からドリブルを開始すると、爆発的なスピードで相手2人を置き去りにしてクロスを蹴り込む。相手DFに当たってこぼれたところを稲垣祥が押し込んだ。
 追加点は村松が自らの足で決めた。46分、左サイドMFの高木利弥からの低くて速いクロスに逆サイドから走り込み、スライディングで合わせる。ボールはGKに当たりながらもゴールネットを揺らして2-0。
「自分の武器はドリブルとスピード。50メートルには自信があります。体が小さい分、ボールのないところで勝たないと自分のプレーができないので」と名門チームの10番を背負う167センチの〝小さな巨人〟 は力強く語った。
 8月下旬、主将であり守備の要でもある伊藤竜司が骨折。2大会連続出場に黄色信号が灯ったが、「伊藤が先頭に立ってDFラインを形成していたが、いない間に若いDFが踏ん張ってくれた」と廣瀬龍監督が語ったように、帝京は無失点で決勝まで勝ち上がり、決勝でも国士舘を0点に抑えるなど急成長を見せて伊藤の穴を埋めた。
 国士舘は183センチのFW服部康平と173センチの山本健人の2トップにシンプルにボールを集めたが、フィニッシュまで持ち込んだ場面は数えるほど。帝京に終始ゲームをコントロールされてしまった。
「浦田(延尚/横浜F・マリノス)、大久保(拓生/横浜FC)のいた昨年のチームと比べたら、個は去年のほうが上。だからこそ、今年、このチームで行けたことはとても大きい」と廣瀬龍監督。
 5年ぶりの全国大会出場となった前回大会では2回戦で広島皆実にPK戦で敗退した。組み合わせ抽選会の結果、初戦の相手は皮肉にも昨年敗れた広島皆実に決定。
 1年前のリベンジを誓って臨んだ帝京だったが、広島皆実にPK戦で敗れて1回戦突破はならなかった。それでも、主将のケガというアクシデントを乗り越えて若いチームで全国の切符をつかんだことは、帝京にとって大きな財産となるはずだ。

 
 




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