TOKYO FA's Pick UP

東京スタジアム巡り 第2回 「駒沢オリンピック公園総合運動場陸上競技場」
 東京のサッカーにまつわるスタジアムを紹介していく「東京スタジアム巡り」。 第2回は東京オリンピックのサッカー会場として使われ、その後も数々の大会を開催してきた駒沢オリンピック公園総合運動場陸上競技場。

 
東京オリンピックで日本が戦った場所
 駒沢陸上競技場は東京オリンピックのサッカー会場として使用されました。日本は予選グループ第1戦で世界の強豪アルゼンチン相手に3─2で勝利を収めるという歴史的快挙を成し遂げました。この試合で2点目を決めたのが日本協会の川淵三郎名誉会長でした。
 今でこそ、1年中様々なスポーツが行われている駒沢陸上競技場ですが、当初はゴルフ場だったことはあまり知られていません。日銀職員で後の大蔵大臣だった井上準之助さんが、社交の場としてゴルフ場が必要だとこの土地を借りて、駒沢ゴルフ場を建設したのが始まりです。
 その後、ゴルフ場は現在の朝霞市に移って、その跡地はしばらく農耕地として使われていましたが、総合運動場を作ることを東京都が働きかけて、建設計画がスタート。都内で最大級の面積を誇る運動場となっていきました。
 駒沢陸上競技場の基本的な構造自体は1964年の東京オリンピックのときから変わっていません。ただし、スタンドがベンチ型からセパレート型に変わったり、スコア表示しかできなかった電光掲示板から、リプレイ映像などを流せる大型映像装置に変わるなど、観戦環境の向上のために改修されています。
 現在、駒沢陸上競技場はシニア、大学、高校、ユースと各年代のサッカーが行われる場所として親しまれています。2万人以上の収容能力があるので、Jリーグなどトップレベルの試合も行われます。
 また、駒沢オリンピック総合公園内にある駒沢第二球技場、駒沢補助競技場の利用団体の多くはサッカーです。 どちらの施設も2005年に2002年日韓ワールドカップ の助成金による改修工事が行われたことで、「快適にプレーできる」と高い評価をいただいています。 今後も「駒沢」は東京のサッカーを支える存在であり続けたいと思っています。
 
駒沢にまつわるエピソード① 東京オリンピックのプレート
 駒沢陸上競技場の正面入口から入ってまっすぐに向かったゲートの上部に、東京オリンピックのサッカー会場であることを示した銅製のプレートが飾られている。変色してしまっているため、近くまで寄らないと何も書いていないように見えるが、それが歴史の重みを感じさせる。
 
駒沢にまつわるエピソード② 東京オリンピックの聖火台
 駒沢陸上競技場のメインゲートをくぐって、向かって左側に30メートルほど進むと、ひっそりとたたずんでいる建築物に気づくはず。 これは東京オリンピックの際に皇居前集火式の聖火台として使用されたもので、東京都庁に保存されていたが、現在は陸上競技場に展示されている。
 
------------------------駒沢陸上競技場の歴史------------------------
1914年6月
日銀職員・井上準之助(後の大蔵大臣)が現在の敷地を借りて、駒沢ゴルフ場を建設する。
1932年
駒沢ゴルフ場は土地使用料が高騰したため、埼玉県膝折村(現朝霞市)に移転する。
1936年7月31日
第12回オリンピックの開催地として東京が決定する。駒沢も会場の予定地だったが、戦争の影響により2年後に返上。
1953年9月26日
前年に駒澤球場(現第二球技場付近)が完成し、翌年、東映フライヤーズ(現北海道日本ハムファイターズ)が、後楽園から本拠地を移す。
1963年7月23日
オリンピック施設(陸上競技場、屋内球技場、第一・第二球技場、体育館)竣工式が実施される。
1964年10月10日
東京オリンピック開催。この大会の第2会場として使用され、陸上競技場はサッカー予選会場となる。 日本は第1戦で川淵三郎(現日本協会名誉会長)のゴールなどでアルゼンチンに勝利する快挙を達成する。
1995年9月
冬の間も緑の芝生にするため、冬芝(ペレニアルライグラス)を試み始める。
1999年
陸上競技場に夏芝(ティフトン)の導入を開始する。
2005年3月31日
2002年日韓ワールドカップの助成金によって、補助競技場、第二球技場全面人工芝化するとともに、補助競技場のレストハウス、夜間照明施設を設置する。
2009年3月16日
陸上競技場のA?Bゲート諸室、スタンドを改修。
2011年3月31日
陸上競技場のトラック、フィールド、大型映像装置を改修。
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