巻頭特別企画

SPECIAL INTERVIEW
西村 雄一 (2010FIFAワールドカップ南アフリカレフェリー)
東京が私のスタート地点
日本代表の活躍が記憶に新しい2010南アフリカワールドカップ。この大会にレフェリーとして出場したのが西村雄一である。
的確なジャッジと毅然とした態度で4試合の主審を務め上げ、決勝戦では第四審判を任されるなど、FIFAから高い評価を得た。
世界最高峰の舞台で西村を支えていたもの――
それは「目の前の1試合1試合をしっかり終わらせること」の積み重ねだった。
 

私にとってはすべてが決勝戦のつもりだった

──南アフリカに出発する前はどんな気持ちでしたか?
「実は大会前というのは現地でレフェリーをするかわからない状態で行っているんです。もしかすると第四審判しか割り当てられないかもしれない。応援してくださったみなさんとは『当たれば良いね』ということを話していましたし、もしも第四審判だけだったときは残念報告の文章まで考えていたんです(笑)。たくさんの人に励まされたり、応援していただいたりしたので、1試合でもいいからピッチに立つ姿を見てもらえたらうれしいなと思っていました」。
──開幕戦と同日に行われたマッチナンバー2、ウルグアイvsフランスが担当試合になりました。
「FIFAが割り当ての際に我々に求めてきたのは『今まで通りにやってくれ』ということでした。つまりそれはFIFAが我々のレフェリングを基準にしたいと考えているということで、非常に勇気をもらった割り当てでした。ですから、特に考えすぎることもなく、ビクビクすることもなく、自分らしいレフェリングをスムーズにできましたね」。
──1試合目の評価が以降の割り当てにつながっていくという気持ちはありましたか?
「逆にそういうことは考えずに、この1試合をしっかりと終わらせるということだけに集中していましたね。それが終わらなければ次のチャンスはありません。我々にとっては決勝戦という気持ちでやっていました」。
──ワールドカップの雰囲気や他の試合を踏まえてどういう風にやっていましたか?
「1試合目が終わったあとに審判団で反省会を行って、その中で修正する点もあったので、またチャンスをもらえたらいいなというのが素直な感想でした。2試合目のスペインvsホンジュラスでは1試合目で出てきた課題を修正し、その効果があったことも実感できましたし、大会を通して1試合1試合成長できたと思います」。
──どのあたりを修正したのか具体的に教えていただけますか?
「ウルグアイvsフランスの試合で選手がヒートアップした場面があったのですが、ゲームコントロールの部分で改善点があるなと。笛やジェスチャー、間合いをより効果的に使うことでよりゲームをコントロールできると気づいたので、2戦目、3戦目に持っていったということです」。
──ファウルがあってもプレーを続行する、アドバンテージの採用が多かったのはFIFAの基準だったのでしょうか?
「アドバンテージは、ファウルを受けたチームがアドバンテージによって利益を受けそうな時、アドバンテージを適用し、プレーを続けさせるものです。ファウルに関しては一定の基準を持つことが大事ですし、その基準はJリーグでもワールドカップでも変わりません。ただし、ワールドカップに出てくる選手はファウルを受けたとしても耐えられるのでプレーを続けさせることが多いように見えたのでしょう」。
──現地の寒さであったり、高地であったり、ボールが伸びやすいなどのことがありましたが、西村さん自身は影響を感じたことは?
「高地という点では、体力やスタミナの部分に影響がありましたね。ゲームの終盤でいちばん力を発揮しなければいけないときに疲れが早く来たりとか、もうワンステップペースアップしたいのにできないとか、そういうところで実感しました。また、笛を吹くときに『ピッ────』としっかり伸ばしたつもりなのに、『ピッ─』で息が途切れてしまうこともありました。出発前に岐阜県の飛騨高山市の御岳ナショナルトレーニングセンターで1週間ほど合宿をして、高地でのパワーロスがどれぐらい起こるかを体感してから現地に行きました。現地に行ってからはおよそ1300メートルで生活し、ある程度は順応できるようになっていきましたね」。
──高地に順応した選手と順応できなかった選手がいましたが、審判にも影響はありましたか?
「面白い話があって、メキシコのレフェリーは普段生活しているのが2000メートルぐらいなのでまったく影響がなかったようです。しかし、我々のような普段平地で生活している人はトレーニングをしなければ普段どおりのパフォーマンスを出すことは難しかったと思います」。
──準々決勝のオランダvsブラジルというビッグゲームに臨むにあたって特に意識した部分はありましたか?
「まず、ビッグゲームととらえないことが大事です。私にとってオランダvsブラジルもその他の試合も同じ『試合』です。すべての試合が決勝戦です。ですから、特別な気持ちが働くことはありません」。
──この試合ではブラジルのフェリペ・メロの乱暴な行為を見抜き、レッドカードを出しました。
「あのシーンではフェリペ・メロがファウルをして、続いて何か起きるのではないかという危機感を持ちながら見ていたのですが、フェリペ・メロが故意に踏みつけたので、即座にレッドカードと判断しました。ただ、見ていた人は何が起こったかわからなかったかもしれません。テレビではスーパースローやベストアングルでのリプレイがあったのでわかったはずです」。
──フェリペ・メロは普段からラフプレーをすることで有名ですが、そういった情報は頭に入っていましたか?
「そういう形では頭には入れていません。チームの戦術として相手の攻撃をつぶしに行くということは頭に入っています。それが結果的にカードにつながりやすいということです。もしも『ラフな選手』という形で頭に入れてしまうと先入観になってしまいます」。
──西村さんは決勝の審判をする可能性もありましたが、決勝のレフェリーはどのような基準で選ばれるのでしょうか?
「まず、決勝に行った両国からは出ません。決勝のレフェリーがナンバーワンと思われがちなんですが、レフェリーの場合はそうではなくて、対戦カードやグループステージでの巡り合わせ、パフォーマンスなどを組み合わせながら、できるだけニュートラルになるように考えられて選ばれます」。
──決勝では第四審判を担当しましたが、どのような気持ちで試合に入りましたか?
「いつでも自分が笛を吹くつもりで入っていますね。『第四審判だから』という気持ちでやっていてはゲームに入っていけません。主審のハワード・ウェブが笛を吹いていますが、私も心の中で笛を吹いています。トレーニングも主審をやるつもりで行っていますし、ピッチに入ってコイントスが終わって、それぞれのポジションに散ったときにあの位置にいるだけで、実際には自分も審判をやっているのと同じ気持ちです」。
──日本代表が頑張って、西村さんが決勝まで行ったことは誇りになったと思います。
「今回、決勝戦の割り当てが自分のところに来たときに感じたのは、FIFAは今までの日本の努力をたくさん知っていて、例えばサポーターが試合後、スタジアムのゴミを清掃して引き上げたりとか、それから日本代表の頑張りも重要なことでしたし、クラブワールドカップなどでのFIFA大会の細やかな対応、レフェリーメディアデーに来ていただいたメディアの方のマナーなど、そういったことに敬意を払ってくれたんだと思います」。
──西村さんは東京出身でサッカーや審判の活動を行ってきましたが、その経験はどのように役に立っていますか?
「私が主に東京を舞台に審判活動をしていた期間は9年間ぐらいです。基本を全部叩き込んでもらって、そのあとは活動拠点を関東、日本、世界と広げていきました。東京で得た基本がなければ今にはつながっていないので、東京で指導して下さった方や切磋琢磨してきた仲間に感謝しています」。
──次のモチベーションはどこにありますか?
「次の1試合をコントロールできれば、また次の試合を担当できるチャンスがもらえる。そういう風に考えています」。

──4年後のブラジルワールドカップは?
「そこを目標にするのではなく、本当に1試合1試合を大切にやっていくこと。目の前のゲームをしっかりと終わらせることの繰り返しです。Jリーグや東京都のゲームで、自分にできることをしっかりとやっていくことが先につながっていきます」。
──最後に、西村さんにとっての理想のレフェリングはどのようなものでしょうか?
「試合が終わったときに『誰がこの試合やってたんだっけ』となるぐらい印象に残らないレフェリングです。印象に残らないということは、それだけ試合にマッチしていたということですから」。
──ありがとうございました。



Profile

西村雄一(にしむら・ゆういち)
1972年4月17日生まれ、東京都港区出身。小学生からサッカーを始め、駒沢サッカークラブなどでプレー。 1990年に4級審判員の資格を取得し、1999年に1級審判員として登録。 2004年からはSR(スペシャルレフェリー)【現・プロフェッショナルレフェリー】として、Jリーグなどの国内試合および国際試合の審判員として活動する。 2010年FIFAワールドカップのレフェリーに指名され、4試合で主審、決勝を含む3試合で第四審判を務めた。