巻頭特別企画

SPECIAL INTERVIEW
城福 浩 (FC東京監督)
日本サッカーは現場の熱意で支えられている
2009年、ヤマザキナビスコカップでタイトルを獲得したFC東京。
このチームを率いるのが2008年に就任した城福浩監督だ。
“冷静と情熱の指揮官”城福監督にコーチングメソッドやJリーグへの抱負を聞いた。
 

選手の目線は大事にしたい

――今日の練習中も選手と一緒にボールを蹴っているシーンが多かったのですが、城福監督は今でも選手の目線を大事にしているのでしょうか?
城福 はい。選手がどう感じているのかは大事にしたいと思っています。これは選手に変にすり寄るという意味ではなくて、自分がプレーすることでわかることもあるから。終わった後にスタッフとボール回しをするのも、体が動かないようになりたくないのと、サッカーの楽しさを味わい続けていたいなと。
――練習よりボール回しのほうが長くなることもあるとか……。
城福 あります(苦笑)。ボール回しは選手の気持ちを理解するという面もありますし、サッカーをやる中で、こうなるとこうだよなというのが肌でわかる。いちばんは自分のストレス発散法なんですが(笑)。勝っても負けても、何連勝しても何連敗しても必ずやると決めています。
――城福監督は富士通で選手、コーチ、監督を務めた後、1998年にFC東京の前身の東京ガスに入りましたが、当時からプロの指導者になるという気持ちが強かったのでしょうか?
城福 富士通の社員を辞めて東京ガスにいくことになった時点で、それなりの覚悟はありましたが、イコール、「指導者になりたい」というわけではありませんでした。ただ、自分の中ではサッカーをもっと突き詰めたいという気持ちがありました。富士通のころも監督やコーチとして頑張ってきたという自負はあったけれども、サッカーのことはまだまだ勉強不足だった。ですので、東京ガスに入るにあたって「S級(ライセンス)を受講させてほしい」ということだけをお願いしました。
――城福監督はS級ライセンスを取るにあたって、どのような姿勢で取り組んだのでしょうか?
城福 私の中の目標は「何が何でもトップで受かること」。具体的な成績は聞いていないのでわかりませんが、取り組む姿勢だけは誰にも負けないつもりで受講しました。それまではテキストみたいなものはサッカーにない、教わるものなんてあるのかというのが表には出さないけれどどこかにあったのですが、S級を受けていた3カ月間はとにかくサッカーを学ぼうと。どんな講義も自分の身になると思って聞いていましたし、課題も自分の分だけじゃなくて人の分まで手伝いました。
――S級ライセンスのトップ合格を目指すことによって何を得たのでしょうか?
城福 この人が何を要求しているのか、何を伝えたいのか、評価の基準は何なのか。そこを突き詰めると見えてくるものがある。もしかしたら反面教師かもしれないけれど、それでもいい。その人の懐に入っていかないと、それも見えてこない。わかったつもりでいても何もわからない。S級に関しては私はそういうやり方を選んだわけです。
――S級ライセンス取得後の99年からは日本サッカー協会のナショナルトレセンコーチに就任します。協会のスタッフとして働く中でどんなことを学んだのでしょうか?
城福 ナショナルトレセンコーチは9地域あって、私は関東担当だったんですけれど、当時のコーチはほとんどがJリーグの監督になっています。協会の中では指導の指針を作ることも大事な仕事です。みんな個性的で自己主張もあって、だけど、何かを仕上げていかなければいけない。そういうことをみんなでやりきり、いろいろな人間の考え方に接することができたのは勉強になりました。
それから、協会スタッフのいちばんの特権はいろいろなチームを見に行けること。Jクラブの下部組織にも高校にも小学生のチームにも行ける。どんな環境でやっているのか、どんな指導者がいるのか、そういうことに接することができる。ナショナルトレセンコーチの仲間や、地域の指導者に接した財産はすごく大きかったと思います。
――いろいろな環境があって、いろいろなタイプの指導者がいたと思うのですが、他の指導の現場を見に行くのはオススメできますか?
城福 見に行かないよりは見に行ったほうがいい。ただ、同じものを見ても感じることや量は人それぞれ。例えば、ベンゲル(アーセナル監督)のところで学んだ人がベンゲルのようになるかといったらならないわけでしょう。このコーチはこういうコーチングをするのか、選手がどんな発想でやっているのか。見ようとすれば見えてくるし、見ようとしなければ見えてきません。何を感じるかは自分が決めること。それは誰も強制できなければ、手伝ってあげることもできない。
――ちなみに、どういうところを城福監督は重点的に見ているのか教えてもらえますか?
城福 テクニカルなところはもちろん見ます。ただ、それ以外では選手がどういう表情でやっているのかを見るようにしています。やらされているのか、自分からやっているのか、この試合に勝ちたいと思っているのか、誰かが視察に来たからやっているのか、指導者の考えが伝わっているのか、全員なのか一部の人間なのか、どういう伝わり方をしているのか……。それは私自身も監督をしながら気にするところです。




やる気と向上心を
持たせるのが勝負

――育成年代の指導の現場では子どもたちが淡々とやっていたり、集中していなかったりという場面をよく見るのですが、どうすれば彼らをやる気にさせられるのでしょうか?
城福 私も偉そうなことは言えないんですが――自分でもいつも葛藤しているので――ただ、極論を言うと指導者はそれが勝負であって、技術なんて子どもは放っておいても学ぶものなんです。どれだけ向上心を持たせて、その場でやる気を出させるか。簡単ではありません。特に14、15歳ぐらいが年齢的には難しい。シャイだし、斜に構えているし、ひょっとしたらトップよりもジュニアユースのほうが難しいかもしれない。
 選手が乗って来ないときは指導者の問題だととらえることがレベルアップにつながります。あきらめてしまって「今の年代はこうだから」というのでは進歩しない。その中でもやれる指導者はいるはずなんです。同じメニューをやっても、停滞感のある雰囲気の練習の場合もあれば躍動感のある練習をさせられる指導者もいる。
 小手先の技術論だけ教えても絶対に子どもはうまくならない。頭から湯気が出るぐらいトレーニングに熱中させることができれば、放っておいていいんです。むしろ放っておくべき。それがいちばん難しいんですが。
――城福監督はU-15、16、17日本代表チームの監督、FC東京でトップチームの監督を歴任していますが、育成年代とトップの選手ではアプローチの方法も変わってくるのかなと思うのですが……。
城福 一言で言えば変わりません。年齢的な特徴はもちろんありますけれど、選手として見たときに、私は基本的には全ての選手は向上心があれば向上できると思っています。向上心に乏しい選手、今の自分に満足している人間は、ゴールデンジェネレーションだからといってうまくならない。35歳でも向上心があればうまくなれる。サッカー選手としてのスタンス、アプローチは変わりません。
――城福監督は選手に直接アドバイスを送ることはどれぐらいありますか?
城福 比較論なので他の指導者がどれぐらい話しているかはわかりませんが、恐らくはそんなに喋るほうではないと思います。チームにはいろいろな心境の選手がいます。レギュラーでやっている選手、これから出ようとする選手、悩んでいる選手など。だけど、本当に必要なタイミング以外は個別には声はかけません。僕がいちばん大事にしているのはスタンダードを示すことなんです。許すことと許さないことのラインをハッキリする。ときには怒鳴って、ときには誉めて、スタンダードを示し続ける。それによって、いろいろなポジション、いろいろな立場の選手が一つのベクトルでやっていけます。
――個性の尊重とチームとしてやることのバランスは?
城福 これはすごく難しい問題です。選手には必ずストロングポイントとウィークポイントがある。どちらも絡み合って1つの選手になる。ウィークポイントの少ない選手を集めたら真ん丸な集まりになるわけです。それでは大きな面積にならない。どこかが欠けていたらどこかがとがっているからそれを組み合わせる。より大きな面積のチームにするには個性は大事になります。
――ストロングポイントとウィークポイントでは、日本サッカー界の中ではできないこと、ウィークポイントのほうに目が向く傾向があります。
城福 先ほども言ったようにウィークポイントがあるのは人間だから当然です。でも、ウィークポイントがあるのにフォローを人任せにするのはダメです。大事なのはチームの結果の責任を負いながらプレーすること。例えば、すごいドリブラーだけど守備をしなかったら厳しく言います。だけど、それがイコール、ダメな選手ではない。結果責任を負わせられなかったこちらの責任でもあります。




ポストW杯の
担い手になる

――東京ではたくさんのサッカー指導者が頑張っています。城福監督は東京のプロチーム「FC東京」の監督として見られる立場だと思いますが、東京の指導者のみなさんへメッセージをいただけますか?
城福 東京のいろいろなカテゴリーのいろいろな環境でサッカーをやっている子どもたちがいて、そこを支えているのは本当に指導者の熱意でしかないと思うんです。こんな環境だったら指導できないよっていうのであれば、ほとんどの指導者がいなくなってしまう。良好ではない環境の中でも子どもたちをうまくしたい、強くしたいという熱意を持ってやっている。ありきたりですけれど、サッカー界はそういう熱意で支えられているんです。
 自分がすごいシンドイときにエネルギーになっているのは、自分が接してきた熱意のある人たちの姿なんです。そういう人たちが頑張っているのに、こんなにいい環境でやらせてもらっている自分が弱音を吐くのはおこがましいと、そういう気持ちになります。ボランティアで平日も練習して、土日も連れて行ったりして、様々な目標、違うモチベーションの子供達を束ねて頑張っている。そういう人たちが接した〝10年に1人の逸材〟がここにいるわけですから、甘えるわけにはいきません。
――城福監督は「ポストワールドカップの担い手になる」ということをおっしゃっていますが、この言葉の真意は?
城福 あまり大きいことを言うと自分の首を絞めるので言いたくはないんですが……(笑)。首都のクラブが高いステージで戦うことを目の当たりにしたときの経済効果は大きいものがあります。それはつまり、サッカーに関わる人が1人でも多くなるということ。そこにいちばん近いところにいる責任や自覚、幸せは持たないといけない。それを改めて宣言したということです。2010年、ワールドカップがあって注目が集まる中で宣言するのは、自分の首を絞めるよりも大事なことだなと。
――1シーズンを通じて優勝争いに絡んで、優勝することが目標になりますか?
城福 我々は平均年齢がJリーグの中でもかなり若いチームです。そのメンバーでヤマザキナビスコカップの優勝ができたということは、これからしっかりと積み上げていけばガンバやアントラーズになりうる。次のサッカー界を担っていく要素を持っているというぐらいの気持ちで臨みたい。ヤマザキナビスコカップで頂上が見えているので、リーグ戦で勝てなかったことを糧にできれば、優勝争いをすることは絵空事ではないと思います。
――最後に東京のサッカーファミリーのみなさんへメッセージを一言いただけるでしょうか。
城福 首都のクラブとしての覚悟を見せられる試合をしたいと思っています。勝つ試合も負ける試合もあると思いますが、自分たちがサッカー界の担い手となるような、そういうシーズンにしたいと思います。東京のサッカーに関わっている人から「FC東京は面白い」と思ってもらえるようになることが一つの目標です。勝利に向かって戦っている姿を見せたいと思っていますので、ぜひ、味の素スタジアムまで足を運んで下さい。


Profile
城福浩(じょうふく・ひろし)
1961年3月21日生まれ。徳島県出身。徳島県立城北高校時代にワールドユース代表候補に選ばれる。 早稲田大学から富士通(現川崎フロンターレ)に入社。日本リーグ2部及びJFLでプレーし、 1989年に現役引退。富士通のコーチ、監督を務めた後、東京ガスへ。 1999年、JFAのナショナルトレセンコーチに就任。2006年、 U-16日本代表監督としてU-17アジア選手権で優勝し、2007年のU-17ワールドカップに出場。 2008年からFC東京の監督に就任し、2009年、ヤマザキナビスコカップで優勝。