巻頭特別企画

FC東京
梶山陽平
東京で生まれ、東京で育ち、東京から羽ばたく
北京オリンピック最終予選に挑むU-22日本代表で10番を背負い、FC東京では中心選手として活躍する梶山陽平。
日本の未来を担うと期待される、「メード・イン・東京」の司令塔にこれまでのサッカー人生と来たる大舞台への意気込みを聞いた。
 

「夢の島」へ自転車で行っていました

――サッカーを始めたきっかけは?
梶山 きっかけは覚えていないんですが、幼稚園のころは「習い事」としてではなく「遊び」でボールを蹴っていたのを覚えています。小学校1年生のときに、FC東陽というチームに入りました。友達が入るから僕も、という感じです。クラブチームだったので、近くの学校の子供が集まっていましたね。ただ、クラブの練習は土日のどちらかの週1回だけだったんです。だから、低学年のころはサッカーだけでなく、それ以外のスポーツもいろいろとやっていました。野球も、バスケットボールも、全般的にしていました。
――ご出身は東京都江東区ですが、地域的にサッカーは盛んだったんですか?
梶山 当時はどれぐらい他のチームがいたのかはわからなかったですし、すごく多かったわけではないと思いますが、地域の大会などで試合はたくさんした経験はあります。
――サッカーに熱心に打ち込むようになったのはいつ頃?
梶山 FC東京の母体である、東京ガスのスクールに入った5年生ぐらいからです。活動場所の深川が自宅から近かったので、親が教えてくれて。スクールはすごく人気があって、僕も順番待ちをして入りました。東京ガスにトップチームがあることは知りませんでしたね。東京ガスのスクールに入った頃から、サッカーが好きになってきて、週3〜4日はプレーするようになりました。スクールにはレベルの高い子が呼ばれる「特別クラス」というのがあって、僕も呼ばれて、そのままジュニアユースに上がりました。
――当時憧れていた選手は?
梶山 三浦知良選手です。Jリーグが開幕した、小学生1年生のときに活躍していたので。
――プレースタイルやポジションは今と違ったんでしょうか?
梶山 小さい頃はドリブルばっかりしていましたね。ポジションはずっと中盤です。そこだけは変わっていません。中盤から長い距離をドリブルすることや、FWにパスを出すほうが好きだったので、FWをしたいとはそんなに思いませんでしたね。
――東京のサッカー場で思い出の場所はありますか?
梶山 夢の島(競技場)ですかね。当時はJFLだったんですが、トップチームがよく試合をしていたので、ユースチームのみんなで応援に行っていました。自宅から自転車に乗って、まっすぐな道を1時間ぐらいかけて(笑)。その頃のチームには、今は一緒にプレーしているフジさん(藤山竜仁)がいました。
――FC東京U-18では、第25回日本クラブユース選手権(U-18)で優勝しています。
梶山 僕が高校1年生のときは、馬場(憂太)君たちが3年生のときで、すごく強かったんです。だから、優勝したというよりは優勝させてもらった、という感じでしたね。
――確かに梶山選手が1年生のときは高円宮杯第12回全日本ユース(U-18)サッカー選手権大会、第9回Jリーグユース選手権大会で準優勝と好成績を残しています。
梶山 そうですね。相当走りこんでいたので、走り負けることはありませんでしたね。キレイにつなぐというよりも、運動量で圧倒するというサッカーでした。
――そして、16才のときに初めて年代別代表にも選出されましたが、そのときの気持ちはいかがでしたか?
梶山 突然だったので、嬉しかったのはもちろんですけどビックリしました。誰も知り合いがいなかったので、最初は緊張しました。
――それまでは東京でずっとサッカーをしてきて、他の地域の選手たちと一緒にプレーするのは初めての体験だったと思うんですが。
梶山 最初に行ったときは僕よりうまいなという印象が強かったですね。足が速かったり、テクニックがすごかったりとか、特徴を持った選手が集まっていました。
――チームに溶け込むのはなかなか大変だったのでは?
梶山 そうですね。でも、サッカーを一緒にプレーしていくうちに、自然に仲良くなっていくんです。カレン・ロバート(ジュピロ磐田)とはその頃からの付き合いで、今も代表合宿で同部屋になったりして仲が良いです。



17才でのトップデビュー ライバルからの初ゴール

――そして、高校2年生、17才でトップチームに帯同するわけですが。ユースでプレーしていたのはいつまでだったんですか?
梶山 夏の大会ぐらいまでです。ユースの監督から「トップ帯同の話がある」ということをいわれて。ユースではドリブルからスルーパスを狙ってというプレースタイルだったんですが、トップに上がってからは簡単にやることを心がけました。レベルが高くなって、ドリブルで全部行くのは無理だというのもあったし、監督やコーチからシンプルにプレーすることの大切さを教えられたからです。
――トップチームで第2種選手としてプロとしてプレーする傍らで、「東京都選抜」として高2では高知国体、高3で静岡国体に出場して、どちらもベスト8になっています。このときの思い出を教えて下さい。
梶山 高知では千葉県とやって負けて、次の年は岡山と戦って負けました。相手には青山敏弘(サンフレッチェ広島)や苔口卓也(セレッソ大阪)がいたんですが、延長戦で青山にセンターサークルぐらいからシュートを決められちゃって。あまりにもすごいシュートだったから、負けてもそんなに悔しくなかったです。しょうがないなっていう感じで……。でも、東京都選抜でのプレーは楽しかったですね。
――Jリーグデビューは高校3年生になってからで、2003年の4月29日、ヴィッセル神戸戦ですが。
梶山 ロスタイムに途中出場して、出てすぐに終わったので、デビュー戦はあまり印象に残っていないです(笑)。自分の中で印象に残っているのは、スタメンで出た次節の磐田戦。自分の持ち味を出せて、手応えをつかめたんです。それで自信がついて使ってもらえるようになりました。
――Jリーグ初得点戦は翌年8月29日に東京ヴェルディ1969との「東京決戦」で奪いました。どういうゴールだったか思い出していただけますか?
梶山 0―0で残り10分ぐらいで出たんです。ルーカスからパスをもらったときに、ゴールまで20メートルぐらいあったんですが、時間もなかったし、フリーだったので思い切って打ったら決まりました。ミドルシュートを打つときに大切なのは思い切りの良さだと思います。
――自分の長所はどこだと思いますか?
梶山 ボールを取られないところには自信を持っています。それを活かしてゲームを作るところでしょうか。
――素晴らしいプレーをする一方で、ゲームによってプレーに「波」があるということを課題として指摘されることがありますが。
梶山 気持ちの問題だと思います。これまではゲームに集中しきれていないときもあったので、克服していきたいですし、今年からはコンスタントにいいプレーができるようになっていると思います。




FC東京は「一体感」のあるクラブ

――さて、いよいよ北京オリンピックの最終予選が始まります。
梶山 今は1つ下の世代のU-20日本代表からも入ってきているので、またポジション争いが激しくなるのかなと思います。彼らには負けられないという気持ちは持っています。
――ライバル意識はむき出しにするほうですか?梶山 心では思っていますが、表にはあまり出さないです。結構みんなも負けず嫌いなのに、このチームは顔に出すタイプが少ない。平山相太(FC東京)なんかは、全く顔に出ませんから(笑)。
――ポジション争いに勝っていくために大切なことは何でしょうか?
梶山 「自分のプレーができれば負けない」という自信はあるので、自分のプレーを出すことをいちばんに考えていきたいです。
――北京オリンピックに対しては特別な気持ちは持っていますか。
梶山 オリンピックだけでなく、世界のチームと戦うのはいい経験になると思うので、ぜひ出場したいです。
――その先にある、A代表については?
梶山 オリンピックや、Jリーグで、しっかり結果を出せば、いつか選ばれると思っています。(イビチャ・)オシム監督はいろいろな選手を呼んでいるので、可能性はないわけではないはず。まずは自分の与えられている場所で結果を出すことが大事です。
――海外のクラブでプレーしたい、という気持ちはありますか?
梶山 チャンスがあれば行ってみたいなと思っています。
――梶山選手は原博実監督から「日本のジダンになれる」「和製ランパード」などといわれたことがありますが、お手本にしている選手はいるのでしょうか?
梶山 去年まではジダンが好きだったんですが、今年は自分と同じ守備的MFのランパードやピルロをよく見ています。あのポジションでのつなぎだったり、ミドルシュートだったり、シンプルにプレーするところをマネしていきたいなと思っています。
――では、「FC東京」というクラブを梶山選手が言葉で表現するとしたら?
梶山 選手、スタッフ、サポーター、地域との一体感があるクラブだなと思います。自分がずっと育ってきたクラブだし、お世話になったという気持ちや愛着もあります。それから、サポーターの応援は独特な雰囲気があるんですが、僕は結構好きですね。
――最後に、FC東京でのこれからの抱負を聞かせていただけますか。
梶山 前半戦の最後のほうからチームにはまとまりが生まれてきています。Jリーグは今月から再開するので一試合一試合勝てるようにがんばっていきます。他のチームの人にも「優勝できる戦力がととのっている」といわれるので、そこに近づいていけるようになりたいです。
――ありがとうございました。

(インタビューは8月8日に行った)


Profile
梶山陽平(かじやま・ようへい)
1985年9月24日生まれ。東京都江東区生まれ。小学校1年生でFC東陽に入団してサッカーを始める。東京ガスのサッカースクールに通い始めたのをきっかけに、FC東京の下部組織でプレー。FC東京U-18では、高校1年時に第25回日本クラブユースサッカー選手権(U-18)大会の優勝など数々のタイトル獲得に貢献した。高校2年生でトップ昇格、3年生でプロデビューを果たすと、以降はFC東京の中心選手として定着。各世代別代表にも常に選ばれ続けるエリートで、現在はU-22代表として北京オリンピック出場権獲得が期待されている。180cm、75kg。