選手がプレーに専念してくれるのが
レフェリーにとって一番いいゲーム
日本人で初めてワールドカップの主審を努めたのが高田静夫氏。1986年メキシコ大会、スペイン対アルジェリア戦は20年後の今も色褪せることはない「偉業」である。高田氏は90年のイタリア大会にも参加し、主審を1試合、副審(当時は線審)を3試合、第4審判(当時は予備審)を3試合と大活躍。レフェリーとしての実力を完全に認められた証拠だといえるだろう。
86年メキシコ大会のレフェリーに選出された高田氏だが、国際審判員の資格を取得したのはわずか2年前、84年の7月のこと。その年の12月のアジアカップ決勝大会(シンガポール)での的確なレフェリングが評価されたことが、自ら「青天の霹靂」という大抜擢につながった。 |