――サッカーはいつ頃から始めましたか。
澤 サッカーを始めたのは6、7歳ぐらいです。きっかけは一つ上の兄がやっていたから。サッカー部の練習を母と見に行った時、「妹さんもボール蹴ってみない?」と言われて、たまたま蹴ったボールがゴールに入ったのが嬉しくて(笑)。すぐに「私もサッカーをやりたい!」となりました。
――生まれ育った府中市はサッカーが盛んなことで知られています。
澤 でも私、5歳から7歳までは親の転勤で大阪に住んでいたので、ボールを蹴り始めたのは大阪なんです。小学2年生で東京に戻って府ロク(※)に入ってから、本格的にサッカーを始めました。
――その頃の府ロクには「女子」のカテゴリーがあったのですか?
澤 いえ、ありませんでした。ずっと男の子の中でプレーしていました。
――サッカー漬けの小学生時代?
澤 もう毎日サッカー、サッカーでしたね。練習は週5回あったし、土日は必ず練習試合が入っている。とにかくサッカーをするのが大好きで、楽しくて。そのまま今まで来たような感じなんですけど(笑)。
――その頃の思い出を教えて下さい。
澤 私たちは遠くの遠征先ではホテルや民宿じゃなくて、「分宿」といって対戦相手の選手の家に泊まるんです。それが他校の友達と仲良くなれるから面白かった。だけど、高学年になるとお互いに意識して気まずくなってくる(笑)。
――中学生からは日本女子サッカーリーグ(L・リーグ)の読売ベレーザ(現日テレ・ベレーザ)でプレーします。
澤 もちろんセレクションを受けたんですけど、小学6年生の頃から練習生として行ってたんです。府ロクの時に、読売ジュニアユースと戦ったことがあって、本当に強かったんです。だから女子も「きっと強いんだろうな」というイメージがありました。でも、ずっと男の子とプレーしてたので、女の子のチームに溶け込むのは難しかったですね。
――当時、中学1年生でしたが、下部組織のメニーナには所属しなかったのですか?
澤 4月からの1ヶ月間はメニーナでしたが、すぐにベレーザに上がったので実質的には所属していません。1年目は13歳で体格的にも小さかったので思うようにプレーできませんでしたが、2年目に同じポジションの先輩が怪我をしてチャンスをもらったんです。本田さん(美登里・現岡山湯郷Belle監督)が右サイドバックで、その前が私だったんですけど出始めの頃はボールをもらっても前を向けなくて、後ろに返してばっかり(苦笑)。本田さんに「前向け!」って怒られてました。15歳ぐらいからですね、イメージするプレーができるようになってきたのは。
――中学校とL・リーグの両立は大変そうに感じます。
澤 ベレーザの選手は基本的に社会人なので練習のスタートが夜6時30分からと遅いんです。終わって9時30分、10時に家に帰ったらご飯を食べて、寝て……の繰り返しです。練習は週6回だったので、友達と遊ぶのも練習がオフの月曜日ぐらい。でも、毎日サッカーが楽しいから、中学校に行ってる間も「早く練習に行きたい!」と楽しみで仕方がなかった(笑)。1時間前からグラウンドに行って、1人でボールを蹴ってましたね。
※府ロクサッカークラブ……東京都府中市で活動するジュニアの名門チーム。中村憲剛(川崎フロンターレ)、前田喜史(フットサル日本代表)ら数多くの名選手を輩出している。
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