TOKYO FA's Pick UP

東京スタジアム巡り 第1回 「国立競技場」
東京のサッカーにまつわるスタジアムを紹介していく新企画。第1回は数々の名勝負を生み、日本サッカーの"聖地"と呼ばれる国立競技場。

 
日本サッカーの 聖地と呼ばれるまで
  国立競技場は建築当時は日本はもちろん、アジアで最大の競技場としてオープンしました。東京オリンピックのメイン会場として作られたと思われがちですが、元々は1958年のアジア競技大会を開催するために作られました。アジア競技大会が成功したので、東京オリンピック招致に追い風が吹いたとも言われています。
 国立競技場に漂う独特の空気を作り出しているのが、東京オリンピックで聖火が灯された炬火台(聖火台)、日本初の金メダリスト織田幹夫氏の三段跳びの記録に合わせた長さになっている織田ポール、メインスタンドに描かれた野見宿禰・勝利の女神像、正面入り口にある東京オリンピック優勝者銘盤など、昔からの伝統が刻み込まれたモニュメントの数々です。国立競技場に観戦に来られた際には是非ご覧ください。
  サッカーと国立競技場の関わりは古く、1968年から天皇杯が行われるようになって、1976年からは首都圏開催となった全国高校サッカー選手権のメイン会場として使用されるようになりました。1981年には南米と欧州のクラブが王者を争うトヨタカップも始まりました。
  現在では1年中緑色の芝生が当たり前となった国立競技場ですが、かつては冬に芝生が枯れて黄色くなっていました。トヨタカップで来日したヨーロッパ代表が、国立競技場で前日練習を行った際に、チーム関係者から「明日はどこで試合をするんだ?」と皮肉を言われ、それがきっかけとなって、二毛作による芝生の通年緑化に取り組むようになりました。
これまで数々の名勝負の舞台となって、「日本サッカーの聖地」と呼ばれるようになった国立競技場ですが、最近ではスポーツ以外のイベントでの利用も増えています。これは国立競技場を積極的に利用してもらうための取組みの一環です。50年以上の歴史を誇る国立競技場ですが、時代のニーズに合わせて変化を遂げているのです。
 
聖地にまつわるエピソード① 炬火台(聖火台)
   
バックスタンド中央最上段に設置された高さ2.1m・直径2.1mの鋳物の炬火台。当初は南側スタンドにあったが、東京オリンピック開催に向けバックスタンドを増築した際に、現在の位置に移設された。オリンピック日本代表がオリンピック予選を戦うときには聖火台に火が灯される。
   
聖地にまつわるエピソード② 野見宿禰・勝利の女神像
   
メインスタンド後方の壁に描かれる壁画。野見宿禰(のみのすくね/相撲の元祖)・ギリシア神話の勝利の女神像(ニケの像)はそれぞれが日本的なものと世界的なもの、力と美を表し、その間のロイヤルボックスに座る皇族が、それらの調和を象徴するというデザインとなっている。
勝利の女神像 野見宿禰像
 
------------------------------国立競技場の歴史--------------------------
1958年3月25日
 
明治神宮外苑競技場のあった場所に、第3回アジア競技大会のメイン会場として建設される。
1958年5月24日
第3回アジア競技大会が開催される。
1959年5月26日
IOC総会にオリンピックの開催地が東京に正式決定される。
1964年10月10日
東京オリンピック開催。開会式では約7万人の史上最多動員数を記録する。
1967年8月27日
ユニバーシアード東京大会開催。当時の国際的な総合競技大会はすべて開催され、日本の代表的スポーツ施設として内外に認められる。
1968年1月14日
天皇杯全日本サッカー選手権大会の決勝が開催される(翌年より元日開催)。
1977年1月8日
全国高校サッカー選手権大会が首都圏開催となってメイン会場となる。
1977年9月14日
日本代表対ニューヨーク・コスモス戦(ペレ、釜本邦茂選手の引退試合)が行われ、当時のサッカー競技最多入場者数を記録する。
1979年8月25日
第2回FIFAワールドユースサッカーが開催される。
1981年12月13日
南米対欧州クラブによるクラブ世界一決定戦のトヨタカップが開催される。
1993年5月15日
プロサッカーリーグ「Jリーグ」の開幕戦、ヴェルディ川崎対横浜マリノスが行われる。
FIFAクラブワールドカップ(2005〜2008年) 日本代表戦等の国際・国内試合多数開催。
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【国立競技場からのお知らせ】
国立競技場では様々なイベントが開催されています。詳しくは国立競技場の公式サイトから。